世界は「使われなかった人生」であふれてる

映画の評論には2通りある。映画の筋書きを明らかにするか否か。
映画の評論で主流なのが、「筋書きを明らかにしない」方法。松本人志の『シネマ坊主シリーズ』は映画の筋書きについては殆どふれることはない。公開前の映画評なんかは必ずこの方法になる。
反対に少数派なのが、「筋書きを明らかにする方法」。有名なのが、浜村淳(関西映画界の大御所)だ。15年ほど前に、深夜帯にありがちな3流映画枠のホストを浜村淳がやっていたのを、アルバイト帰りの眠い目を擦りながら見ていた時期がある。ただ困ったことに、映画が始まる前にあらすじを殆ど話してしまうものだから、本編の映画が始まってもいないのに、見終わったような感覚にとらわれるのである。睡魔と観たことがある(気がする)映画が戦ったところで結果は見えている。テレビを付けたまま眠ってしまい、朝を迎えることが何度もあった。ミステリー映画の犯人をバラしてしまったという伝説もある。

世界は「使われなかった人生」であふれてる

世界は「使われなかった人生」であふれてる

沢木耕太朗が『暮らしの手帖』に連載していた映画評をまとめた本なのだが、この映画評は「筋書きを明らかにする方法」で書かれている。これが良くできている。映画に興味がない人にも、一つの読み物として読むことが出来るし、映画を観たことがある人が読んでも、新たな発見の機会になる。紹介されている映画を観たことがない人にとっては、映画を観るためのキッカケにもってこい。映画評という形式を取りながら、全方位向けの文章として成り立っていることは凄く驚きだった。

そう言えば、淀川長治さんと水野晴郎さんがお亡くなりになってから、映画番組の名物ホストさんが居なくなってしまった。NEWS23での月イチ企画もなくなった。いとうせいこうさんにはピッタリの役回りと思うのだが、どうだろうか。