神の火

高村薫が続きます。ブックオフで大量に買い込んだ高村薫シリーズも、コレを読んでしまえば、一作品を残すのみとなります。この後はどうしようか悩むところ。他の作家に移動するか、それとも高村薫の全作品制覇を目指すか…。高村薫は文庫化に当たって、大幅な加筆修正を行うため、新刊版と文庫版では、印象がかなり違う作品になってしまうことが多々あるらしい。高村薫フリークの人たちは、
「両方読むだろ、普通」
となるらしいのですが、まだそこまでは行かないなあ…。

神の火〈上〉 (新潮文庫)

神の火〈上〉 (新潮文庫)


神の火〈下〉 (新潮文庫)

神の火〈下〉 (新潮文庫)


「リヴィエラを撃て」と同系統の、海外諜報機関モノ。国内が舞台で、登場人物は殆どが日本人(主人公はロシア・日本のハーフ)なので、「リヴィエラを撃て」に比べて、かなり読みやすかった。登場人物一覧が付いていなくても、全く問題なし。3日程度で読了した。
ただ、この本を読んでいて気がついたことがある。僕自身、スパイモノを読んでも心が躍らない、という点だ。「リヴィエラを撃て」を読んでいる最中から、薄々気付いていたのだが、この本を読んで確信に変わった。主人公が色々な諜報機関の狭間で、どれだけ狡猾に立ち振る舞うか。諜報機関と主人公の騙し合い。この手の作品が好きな人は、その辺りのポイントで心が躍るはずだと思う。が、僕は全く心が動かなかった。主人公が、別のロシア人スパイを懸命に助けようとするメンタリティも理解できなかったし、物語の最後で、建設中の原子力発電所を襲撃する理由も理解できなかった。「リヴィエラを撃て」でも、主人公のIRAテロリストを懸命に助けようとするCIAエージェントが登場する。正直言って、「何故そこまで?」という疑念が消えることはなかった。
こういう心理を理解できないと言うことは、物語に入り込めていない、ということだろう。文章のせいではなく、物語の設定と僕自身の好み関する根本的な問題だ。

「照柿」の印象が強すぎるせいだろうか。重厚な文体の中で、登場人物が地面を這い回るように動く。あの作品が高村薫の真骨頂である気がする。

スピードレーサー

ウォシャウスキー兄弟の最新作。マトリックスシリーズが大好きなので、見逃せないと思いレンタル。奥さんは低調な反応。長い間、洗脳活動を続けているが、どうしてもハリウッド的な映画には興味を抱いてくれない。僕も昔はそうだった。大学の頃は、ハリウッド映画を忌み嫌っていた。今はそうでもない。駄作も多いけど、佳作も多い。名作は少ないかも知れないけど。
いつこんな風に考えが変わったか?何故こんな風に考えが変わったか?答えは僕も分かりません。
ちなみに諸般の事情により、テアトル宗村での上映が出来なかったため、14インチ液晶テレビでの鑑賞となりました。

スピード・レーサー 特別版 (2枚組) [DVD]

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脚本としてはヒネル所は全くなし。気持ちいいぐらいの直球勝負。元々、この監督に脚本のヒネリ方を期待していない。「マトリックスは凄い!」と言われるのも、新しい技術を駆使した映像が評価の所以であり、その脚本の出来ではない。では、その映像はどうだったかというと、コレがイマイチだった。一言で表すと、「狙いすぎ」という感じ。サイケデリックな色彩とか、人間とサル以外は全てCGとか、「おっ!」と思う点はいくつかあったんだけど、「スゲッ!」とまでは行かなかった。
でも、劇中に出てくる車はスゴクかっこいい。本当に、子供が思いつく限りの秘密装備が満載。ダークナイトで描かれたバットモービルとは正反対の格好良さ。マンガそのまま、子供の頭の中身そのまま。ニヤリとするけど、心に火がつかない。微かに残る子供心を揺さぶられない。
見終わった後、置いてけぼりを食らった感じがした。「ロボットが出てこないと、魂に火がつかない」というような、単純な問題ではないと思う。「今生きている世界は、実は嘘の世界で・・・」とか「僕自身は、実は、他の星の支配者の息子で・・・」という類の空想世界(大体、小学校3〜4年辺りの想像力)を映像化するとマトリックスシリーズに近くなると思う。でも、この作品はそれ以上。劇中に幼稚園年長組の子供(キスを「バイ菌が・・・」と言って避けるお年頃)が出演しているが、その子供の頭の中身がそのまま映像化されている感じ。子供を育てたことのない33歳の男には、到底ついて行けない世界観。
原作は、「マッハGoGoGo!」。純然たる日本のアニメ。原作をオンタイムで観ていた人は、この映画を観てどう思うのかしら?

ぼくの好きな先生

奥さんの推薦により、観ることに。以前に一度観たことがあるらしい。旦那の方は全く知識なし。

Etre et avoir ぼくの好きな先生 [DVD]

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「面白い映画ですか?」と聞かれれば、「う〜ん・・・」となります。が、「良い映画ですか?」と聞かれれば、諸手を挙げて「良い映画だから観た方がイイと思います」と答えます。そんな映画です。
フランスの片田舎、とある学校の毎日を追いかけただけのドキュメンタリー映画なので、スリル溢れる出来事なんて一切出てきません。スクリーンに映し出されるのは、押した・押さないでけんかをする子供達や、完全に集中力を欠いた子供、先生に怒られる子供です。遠足で迷子になる子供や、一家総出で宿題に取りかかる家庭。そんな日常の風景が淡々とスクリーンに映し出されていきます。
「退屈な映画」と言われれば、そうかも知れません。でも、良い映画なのです。「何がいいの?何処がいいの?」と聞かれても、キチンと答えることは出来ませんが、見終わった後には、心が少し軽くなった気がします。

ラスベガスをぶっ飛ばせ

ローレンス・フィッシュバーンケヴィン・スペイシーが出演している。どちらも好みの役者さんなので観てみることにする。脚本の題材となった事件も、小耳に挟んだことがあるし、先入観バリバリの状態での鑑賞。こういう状態になると、面白い映画も面白くなくなってしまう。


先入観がなかったとしても、あまり面白くなかっただろうと思う。まず、邦題が悪い。原作となった本の題名が「ラスベガスをぶっつぶせ!」だから仕方がないのかも知れないが、原題は「21」である。こちらの方が映画の内容を良く表していると思う。話の背骨になるのは、ラスベガスでのギャンブル(ブラックジャック)ではない。何処にでもいる「21」歳の大学生が抱える問題を、自信の才能と機転で解決していく姿が、この映画の背骨であり、その側面から観ればコレは「青春映画」なのだから。ヒネリを効かせた脚本も、そのヒネリ方はどこかで見かけたようなモノだった。あまり新鮮味の無い脚本だった。

カウンティングの技術にフォーカスを当てていないのは正解だとは思う。ただ、何も知らない日本人が映画を観ても、何のことやらワカラナイだろう。日頃からカードゲームに親しみのあるアメリカ人が観れば、主人公が(我が身の問題を解決するために)難なく駆使する技術が「凄い」モノであることは理解できるのだろう。が、観客が何も知らない日本人になると、途端に主人公は「実はギャンブルが好きだった、少し頭の良い大学生」になってしまう。日本公開を念頭に置いて脚本を作ることはあり得ないが、そのまま日本に持ってくるのであれば、プロモーションの仕方を考えた方が良かっただろう。少なくとも、ギャンブルを前面に押し出した方法は避けるべきだったのでは無かろうか。

ケヴィン・スペイシーが「ワル大学教授」役で出演。少しクセのある役を演じるのはお手の物なのだろうか。これだけは安心してみることが出来た。ローレンス・フィッシュバーンはカジノのバウンサー役。こちらは、可もなく不可もなく、という感じ。

今年もお世話になりました。

今年はいろいろありました。
10年間のサラリーマン生活に終止符を打ち、今後の人生の模索を始め、着地点を決めました。来年から、その着地点に向けて助走を開始します。まだ飛び立ってもいないわけだし、飛び立てたとしても無事に着地できる補償は何もないですが、うだうだ考えるよりも、走り始めることにします。
来年もよろしくお願いします。