八日目の蝉

八日目の蝉

八日目の蝉


相方さんが最近読んだ本。彼女の薦めもあって、読んでみる事にした。

話は大きく2部に分かれている。前半を読み進めるうちに、一つの思いが頭の中に浮かんだ。
「あぁ、この話から受ける印象は、女の人と男の人では、かなり違ったものになるだろうな」
後半を読み、その考えは確信に変わった。


前半では「母になれなかった母」を書き、後半では「母になってしまった娘」を描いている。この対比が読み終わった後に、何とも言えない読後感を残している。女の人はこの主人公たちに、シンパシーを抱くと思う。相方さんもそんな感じだった。母と娘、どちらの境遇にせよ、自分を主人公に投影することが可能だから。でも、男の人は、この小説の中においては傍観者にしかなれない。彼女を見守る立場を取ろうにも、その役割の男は話の中には出てこない。


男の人が読んだ方が良いかも知れない。女の人たちに比べれば、男の方が色んな印象をこの作品から受けるだろう。「傍観者」として彼女たちに何をしてあげられるのかを、考えざるを得ないから。