RIZE

ダンスは腰。そして、ギックリ腰。

RIZE [DVD]

RIZE [DVD]


カリフォルニアのスラム街が舞台になっている。ギャングのチームと同じぐらいの数のダンスチームがあって、彼らが一堂に会するダンス大会に至るまでを描いたドキュメンタリー映画。途中から、ストーリーとかどうでも良くなってきて、ただ、「すげぇーダンスだなぁ・・・」と思いながら観てた。
凄い腹筋。7つぐらいに割れている。奇数とか偶数とか関係ない。どうして外国の人たちは、あんなに激しかったり、艶めかしかったりする腰の動きが出来るのかしらん。狩猟民族だから?獲物とかオスを射止めるために必要なのかしら。
映画の冒頭に「この映画に登場する全てのダンスシーンは早回しではありません」という字幕がでる。あのジャッキー・チェンでさえも早回しを駆使した映像なのに、何と大げさなと思っていたら、本当に度肝を抜かれる激しい腰の動き。興味が出てきた人は、是非ごらんあれ。観てるだけでも腰抜かしそうになるし、真似したら確実に腰抜かす。

谷川俊太郎質問箱

小学生や中学生の時、国語の授業は好きな方だった(一番好きだったのは社会)が、「詩」が取り上げられている期間は、とても憂鬱だった。今でも思うのだが、「詩」や「俳句」といったモノに対する審美眼が小学生や中学生の時代に備わっているとは思えないのだ。「なにがしを想う気持ちを読んだものです」なんて言われても、「へぇ〜、そうなんですか。それで?」と思いながら給食の献立のことをずっと考えていた。

山武市出身の歌人で小説家の伊藤左千夫(1864〜1913)をしのび、短歌に親しむことを目的にした第57回左千夫短歌大会(同市主催)が18日、同市殿台の成東文化会館のぎくプラザで開かれた。小中高校生と一般の各部で作品を募集し、今回は過去最多の2987の応募があった。高校生の部ではゴリラの孤独を表現した県立成東高校2年菱木俊輔君(17)の作品が市長賞に輝いた。

 「ぼくゴリラ ウホホイウッホ ウホホホホ ウッホホウッホ ウホホホホーイ」

 昨年春、千葉市内の動物園でゴリラを見て、「ゴリラも人と同じように孤独なのではないかと感じた」そうで、その孤独感を表現したかったという。ゴリラのイメージを文字で表すなら「ウ」と「ホ」だったので、そのふたつでまとめるようにした。書き始めて30分ほどで完成したという。選者の田井安曇さん(78)は「素手でつかんだ本音を歌っているユニークないい歌だ」と評価する。

 国語の授業でつくり、応募した。入賞の知らせを聞いた時は「まさか、と思った。先生は何かの間違いかと思ったそうで、友人からも奇跡だといわれた」。バレーボール部員で、得意科目は数学と国語。短歌は「これからも何かの機会があれば作るかもしれない」と話していた。

 大会では各部での入賞作品が表彰された。田井さんは「小中学生にも新鮮な感覚の作品があり、左千夫も喜んでいるでしょう」と話していた。(高木和男)

「ぼくゴリラ」の短歌で市長賞

受賞した彼には悪いと思うけど、これを「スバラシイ!」とする気持ちが、僕には到底理解できない。ただの「悪ふざけ」としか思えない。

谷川俊太郎質問箱 (Hobonichi books)

谷川俊太郎質問箱 (Hobonichi books)

谷川俊太郎さんは詩人である。一般の人からの下らない質問を詩人が答える。本当に下らない質問が、かなりの割合で掲載されているのだが、その答えが見事なモノばかりなのだ。下らない質問に下らない答えを返しているようにも見えるのだが、肩の力を抜いて答えているようにも見える。そのサジ加減が絶妙なのである。
谷川俊太郎さんの詩は読んだだろうか。教科書に載っていてもおかしくない。覚えていないと言うことは、教科書に載っていなかったか、あるいは、力の抜けるような詩が載っていたのだろうと思う。

世界は「使われなかった人生」であふれてる

映画の評論には2通りある。映画の筋書きを明らかにするか否か。
映画の評論で主流なのが、「筋書きを明らかにしない」方法。松本人志の『シネマ坊主シリーズ』は映画の筋書きについては殆どふれることはない。公開前の映画評なんかは必ずこの方法になる。
反対に少数派なのが、「筋書きを明らかにする方法」。有名なのが、浜村淳(関西映画界の大御所)だ。15年ほど前に、深夜帯にありがちな3流映画枠のホストを浜村淳がやっていたのを、アルバイト帰りの眠い目を擦りながら見ていた時期がある。ただ困ったことに、映画が始まる前にあらすじを殆ど話してしまうものだから、本編の映画が始まってもいないのに、見終わったような感覚にとらわれるのである。睡魔と観たことがある(気がする)映画が戦ったところで結果は見えている。テレビを付けたまま眠ってしまい、朝を迎えることが何度もあった。ミステリー映画の犯人をバラしてしまったという伝説もある。

世界は「使われなかった人生」であふれてる

世界は「使われなかった人生」であふれてる

沢木耕太朗が『暮らしの手帖』に連載していた映画評をまとめた本なのだが、この映画評は「筋書きを明らかにする方法」で書かれている。これが良くできている。映画に興味がない人にも、一つの読み物として読むことが出来るし、映画を観たことがある人が読んでも、新たな発見の機会になる。紹介されている映画を観たことがない人にとっては、映画を観るためのキッカケにもってこい。映画評という形式を取りながら、全方位向けの文章として成り立っていることは凄く驚きだった。

そう言えば、淀川長治さんと水野晴郎さんがお亡くなりになってから、映画番組の名物ホストさんが居なくなってしまった。NEWS23での月イチ企画もなくなった。いとうせいこうさんにはピッタリの役回りと思うのだが、どうだろうか。

旅する力 - 深夜特急ノート

韓国滞在記が滞っている。あと4日分ぐらいあるのだが、なかなか筆が進まない。大御所作家気取りである。

旅する力―深夜特急ノート

旅する力―深夜特急ノート

沢木耕太朗と言えば、バックパッカーのバイブル「深夜特急」が有名だけど、僕は読んだことがない。そもそも、バックパッカーではない。「深夜特急」を読んだことがないのに、その裏話的な本を先に読むのは如何なモノかとも思ったが、少し興味があったので、奥さんが読み終えた後に読んでみることにした。書いている内容も興味深かったが、それよりもまず、読みやすい文章だった。サクサクと読み進めることが出来て、文字を追いかけるのが苦にならない。
筆者も「深夜特急」を書き終えるのに、数年を要したらしい。途中、全く筆が進まない期間もあったとか。韓国滞在記が進まないのも、仕方のないことなのである。趣味の文章と一緒にして申し訳ないと思うが、言い訳をしたいお年頃なのである。
奥さんは、「『深夜特急』よりも、ノンフィクションの全集を読んだ方がイイよ」と言う。これまでは、あまり「ノンフィクション」というジャンルには手が伸びなかったが、これを機会に読んでみようかとも思う。そして「深夜特急」を読み終えた後に、もう一度読み返してみたいと思う。何か新しい発見があるだろう。

レディー・ジョーカー

好きな作家が、「多作」なのか「寡作」なのかは、結構な問題であると思う。

レディ・ジョーカー〈上〉

レディ・ジョーカー〈上〉


レディ・ジョーカー〈下〉

レディ・ジョーカー〈下〉

マークスの山」「照柿」に続く合田刑事シリーズ第3弾。相変わらずの高村節。とは言え「照柿」のように暴力的な感じは薄い。圧倒的な筆力を武器にゴリゴリと進んでいくという感じではなく、読み物としてのバランスを取ろうとしている感じがする。ただ、焦点が定まらないという感じも否めない。描かれる事件には複雑な伏線がいくつも張り巡らされている上に、中心となる人物が数人出てくるのため、読者として視線を何処に置くかを迷ってしまう。あと、物語の始末のつけ方も、あまりに性急すぎて「あれ、あれ?」という感じで終わりを迎える。

「照柿」の印象が強烈だったせいか、物足りないという感じが否めない。